今、万博が開かれています。50年前にもありました。当時は未来に対するゆるぎない信頼があり、憧れがありました。しかし、今、私たちは未来をあまり信用できなくなっています。50年でよくなったものはあまりなく、むしろ地球が壊れてしまい、未来に対するあこがれどころか不安が募っています。たしかにPCの発展は眼を見張るものがあります。便利になりました。しかし、便利さの弊害が目に付くのです。ヒトの温かみが失われているように思えます。ヒトは退化しているのかもしれません。めんどくさいもの、つらいものから簡単に逃げてしまうようです。お詫びの代行サービスなどまで現れてはやっているというのには驚きました。替え玉を使うのも平気だそうです。利用者もサービスの提供者もだますことに罪の意識が全くないそうです。こんな正直さの軽視が当たり前になると人間社会は成り立たないと恐れます。だからこそ私は人の触れ合いとぬくもりを大事にした不器用な治療を大切にしたいと思うのです。なんとなく大切なものが時代遅れにされてしまうのは結構あります。わたくしは断酒会をその筆頭に取り上げたいです。私が医者になったころアルコール依存症は治らない病気でした。それを変えたのは医者ではありません。単なる患者の会の断酒会が治せるものに変えたのです。もともとアルコール依存症は性格異常者と言われていたころでしたので、病院で出会うアルコール患者には警戒心を持っていました。ところがある患者さんに出会ってその気っぷの良さにひかれて断酒会に連れていかれました。10数名の小さな会でしたが、そこで参加者が、酒のために家族にかけた迷惑を涙を流しながら話すのです。すさまじい内容でしたが、この人たちは嘘をついていないとその時思いました。こんなに変われるのなら自分もこの人たちの役に立ちたい、そう思いました。秋の初めで県北ではすでに冷たい風が吹いていましたが、なぜか頬が紅潮するのを覚えました。それからずっと断酒会と一緒にアルコールの治療をしてきました。アルコール依存症は一滴も酒が飲めないこと、飲みだしたら止まらないこと、だからずっと断酒するしかないことを発見したのも患者さん自身です。そして断酒するためには仲間がいることを見つけたのも断酒会なのです。治療に重要な断酒会ですが、実はどことも関係していない、単なる患者の会です。患者が自由意思で集まるだけの会がずっと存続していることには驚きます。ところが、最近断酒会に逆風が吹いています。断酒会を時代遅れなものとしてとらえる風潮があります。ハームリダクション(HR)という概念が登場したのです。薬で飲酒をコントロールするハームリダクション(HR)からは、断酒、断酒会というものを軽視する傾向があります。

 さて、わたくしはこのHRという考えは手放しで歓迎できないと思います。まず第一にアルコール依存症はなまやさしい病気ではないことです。アルコール依存症は、健康や家庭を壊し、仕事を失わせ、最終的に死に至る恐ろしい病気です。この事実を忘れてはいけません。命を守るためには真剣に向かい合うしかないのです。

 次に酒をやめるには何回もチャンスはないということです。姫路断酒会のAさんがよく言っていましたが、酒が飲める体のうちにやめなさいというのは真実です。失敗を繰り返して心と体のエネルギーを失ってしまうともう立ち直れないのです。ぬるま湯対応でチャンスを先送りしてはなりません。

 いったん脳の中にできた飲酒欲求の回路は消えてくれないのです。だから断酒は治療の王道なのです。人間同士の触れ合いがどんどん失われていく中で、ヒトの触れ合いで癒しと人間回復を目指す断酒会は決して時代遅れではない、大切に継続していくべきものと思います。我々楯築診療所もこのヒトがヒトを治す断酒会を応援していきたいと思います。